526296 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

しかたのない蜜

しかたのない蜜

神域の花嫁 26~30

屋上の扉を開けると、向かい風が凛太郎の髪に強く吹き付けた。
 風の強さに目をすがめながら、凛太郎は歩みを進めた。
 青空の下、秀信の後ろ姿が見える。秀信は背広の裾をなびかせて、たばこをくゆらせていた。
 凛太郎は声をかけるのをためらって、しばし秀信の後ろ姿を見つめていた。背広がこれだけ似合う男性もめずらしいと思うくらい、決まっている。
 少し前まで、凛太郎は秀信のそんな洗練された知的な雰囲気に素直にあこがれることができた。
 そう、胸にできた寄生生物を秀信に強引に見られたあの日までは。
”見せてみろと言っているんだ!”
 あの日、秀信はそう叫びながら凛太郎の体をこの屋上のコンクリートに押し倒した。
 あの時、凛太郎は初めて見た秀信の激しいまなざしが忘れられない。それまで冷たい氷の瞳に閉ざされていた炎が凛太郎に向かって一気に吹き出してくるようだった。
 そして、凛太郎のシャツを強引にはぎ取った熱い手の感触。
 それまで凛太郎は秀信のことを知的でクールな性格だと思っていたが、本当はその奥底にマグマのような激しいものを持っている男だと思い始めていた。
 凛太郎は躊躇しつつも、鈴薙が子供を連れて消えたすぐ後、秀信が自分に宿った勾玉に並々ならぬ関心を抱いていたことと、屋上での一件を話した。
”まあ、あの先公の記憶なら俺が消しとくから大丈夫だよ”
 明は凛太郎が拍子抜けするほど軽い口調で言った。
”ただの人間なんだから、お前にこれ以上の手出しも詮索もできないだろうし”
 ふむふむと一人うなずく明に凛太郎は気色ばんで問いかけた。
”僕の体から妙な光が出て先生を吹き飛ばしたのはいったい……”
”それはお前の子供が、母親のお前を護ったの。鬼の血を引く子供ってのは、生まれる前からそういうこともできるんですねえ。
鈴薙の呪いが消えたら、俺がもっと優秀な子を生ませてやるからな、凛太郎ちゃんよ!”
 明の説明によると、鈴薙は凛太郎の体に呪いをかけて、自分以外の男との間に子供ができないようにしているという。そのためには鈴薙を倒さない限り、凛太郎は子を宿せないそうだ。凛太郎からしてみれば、男の自分が妊娠すること自体とんでもないし、明の子をはらむつもりもないのだから一生呪いがかかっている方が平和だと思うのだが。
 明は凛太郎に飛びつくように抱きついた。凛太郎は明の体を必死に押しのけながら質問を続けた。
”ちょっと待ってよ、そうじゃなくて……”
”ああ、鈴薙のヤローとの子供なら、俺が責任を持って父親になってやるぜ。俺が父親だって言って育ててたら、子供も疑わないだろうし。いや~、俺の愛情って海より深いと思わない、凛太郎?”
 自分にキスしようとする明の唇を凛太郎は押し戻した。
”どうして弓削先生、僕の胸にあの勾玉がついてるって知ってたんだろう?”
”それはだな……”
 明は凛太郎を解放して、おごそかにうなずきながら言った。凛太郎は固唾をのんで、明の言葉の続きを待つ。
”あの先公、お前に惚れてたからじゃねえの?”
 大まじめに指摘する明の頬を凛太郎はひっぱたいた。
”い、痛ェ! 何すんだよ、凛太郎!”
 頬をさする明を凛太郎は真っ赤になってにらみつけた。
”どうして男の僕に弓削先生が惚れるんだよっ?”
”そりゃあまあ、なんてったって凛太郎くんは魔性の美少年ですから。この明様が千年間待ち続けた人間なんだからよ! 鈴薙のヤローまで待ってたのは本当に余計だったけど”
 明は憤慨する凛太郎を無視して、一人ぼやいた。 
 凛太郎は口を真一文字に結んで、明をもう一度平手打ちした。
”痛ェっつうんだよ、もう!”
”弓削先生はそんな不埒な人じゃない!”
 凛太郎は拳を握って叫んだ。明があきれたように口を曲げる。
”そうかァ? 俺から見りゃあいつ、お前にかなりご執心なんだけどなあ。なんつーか、俺みたいな包み込むような純粋な愛情ってんじゃなくて、鈴薙のヤツみたいなドローッとしたスケベ心みたいなのをお前に向けてると俺は見抜いたわけよ”
”それはお前のことだろ、明!”
 凛太郎はそう言って、明に三度手を上げたのだった。
 明の記憶消しの術が効を奏したのだろう。
 あれから秀信は生徒である凛太郎に、厳しいが指導力のある一教師としてごく普通に接した。一見、あの日以前の秀信に完全に戻ったように凛太郎には思えた。
 だが、時折授業中などに鋭い視線を凛太郎に投げかけている気もするのである。それは、蛇が獲物を得ようとじっと機をうかがっている姿をほうふつとさせた。
(……それは、僕の気のせいだよね)
 そうに決まってる、と凛太郎は自分に言い聞かせる。あれ以来、凛太郎は秀信と二人きりになるのを避けてきた。
 けれど、今日は志望校アンケートのプリントを学級委員として秀信に渡さなければならなかったのだ。明に一緒に付き添ってもらおうとも考えたが、男である自分がそこまで怖じ気づいているのも情けないと思い直したのだった。
 凛太郎は深呼吸をして、できるだけ快活な声で言った。
「弓削先生。プリント、お渡しに参りました」
 たばこを手にした秀信が振り向いた。紫煙がゆっくりと凛太郎に吹き付ける。眼鏡の奥にある秀信のまなざしはおだやかだったが、鋭く凛太郎を射抜いていた。凛太郎は手のひらに汗がにじむのを感じた。
「ご苦労」
 秀信がうなずいた。凛太郎は重い足をひきずる心地で秀信に歩み寄った。
 青空を背にして、秀信は携帯灰皿にたばこの火を押しつけて消した。神経質かつきっちりとした手つきが実に秀信らしかった。
「さっそく受け取ろうか」
 秀信の言葉に従って、凛太郎は両手を添えてプリントを差し出した。秀信がそれを受け取った時、二人の両手は触れあった。
「あ!」
 秀信のひんやりとした手の感触に凛太郎はかすかなうずきを覚え、思わず一枚のプリントを屋上の床に落とした。凛太郎はあわててかがんでプリントを拾った。
 凛太郎が腰を上げた時、何者かの手が凛太郎の髪に触った。凛太郎が驚いて顔を上げると、秀信が微笑みかけているのが視界に入った。いらうような、めでるような奇妙なまなざしだった。秀信は凛太郎の髪を撫でていた手を、その頬にすべらせた。頬からおとがいへ、そして首筋へ。
 凛太郎は身を震わせた。
「あん……っ」
 我知らず甘い声が出た。
秀信の指先は触れるか触れないかの微妙な角度で、凛太郎の首筋をつつぅっと撫でていく。そこから火がついたように、体中にちりちりとした痺れが走った。明に、そして鈴薙によって性を知っている凛太郎の体は、こんな些細な愛撫にも反応してしまうのだ。
 くっ、と小さく秀信が笑った。驚いたような、小馬鹿にしているかのような笑いだった。
 頬を赤くして、凛太郎は秀信の手をはらいのけた。片手でプリントを持っている秀信は少しあっけにとられたように凛太郎に視線を落としていた。
 だがすぐに元の人の悪そうな笑みに戻った。
 こんな秀信を見たのは凛太郎は初めてだった。いつも生徒である凛太郎たちの前で、秀信は冷静で勤勉だった。もしかしてそれは偽りの姿だったのではないか。凛太郎にそう考えさせるほど、秀信が今浮かべている笑顔は奇妙な生気に満ちあふれている。
”俺から見りゃあ、あいつ、かなりお前にご執心なんだけどなあ”
 秀信を評した明の言葉が、凛太郎の脳裏によみがえった。明や鈴薙だけでなく、この見るからに秀才タイプの教師までもが、自分をそんな目で見ているというのか。秀信はそんな下世話な人間だったのか。それとも……他人に不埒な感情をいだかせずにはいられないほど、凛太郎が淫猥な存在だというのか。
 そう考えた途端、凛太郎は羞恥でこの世から消え去ってしまいたくなった。鈴薙の体を自分から求めていた時のことや、明の言葉通りに身をくねらせていた自分を思い出してしまったのだ。そして、つい今しがた、秀信の指先に反応してしまった自分も。
「ぼ、ぼ、僕、もう帰ります。下校時間だから、帰ってもいいですよね」
 秀信の冷たい好奇心に満ちた笑いを前にして、凛太郎はどうにか言葉をしぼりだした。声が震えているのが自分でも情けなかった。
「今日、体育の時間に一騒動あったそうだな」
 急に秀信にその話題を向けられて、凛太郎は面食らった。
「どうしてそれを……」
「山下先生に聞いた」
 山下とは体育教師だ。凛太郎は少しホッとした。秀信に千里眼でもついているのではないかと本気で疑っていたのだ。里江たちの起こした騒動を、体育教師は遠くから見ていたのだろう。特に山下のおとがめがなかったのは、山下が生徒同士のトラブルに首をつっこみたくなかったからなのだろうと凛太郎はとっさに判断した。
 秀信はフッと笑った。それまでの冷笑とは違い、いたわりのこもったまなざしだった。
「お前も大変だな、凛太郎。さだめに生まれついたものは、おのれが好まずとも様々な重荷を背負わずにはいられない」
「……」
 凛太郎は絶句した。
 この秀信の言葉は、教師が一生徒にかけるものの範疇を越えていた。凛太郎と二匹の鬼のことを秀信が知っているとしか思えなかった。そう考えれば、秀信が勾玉に気づいていたことも説明がつく。
(もしかして、先生は……)
 鬼。もののけ。あやかし。とにかく、人ではないものなのではないか。
 凛太郎は背筋が凍っていくのを感じた。
「先生……」
 凛太郎は足下の震えを止めることができないまま、尋ねようとした。先生は人間ではないのですか、と。
 だが、凛太郎が言葉を発する前に秀信は声を上げて笑い出した。秀信にしては至極めずらしい、影のない笑いだった。
「すまない、つい笑ってしまって……」
 秀信はプリントの束を持っていない方の手で、眼鏡の下の目頭をぬぐった。凛太郎は呆然と秀信の様子をうかがっていた。
「お前があまりにも真剣に驚いた表情をするのでな」
「えっ?」
 笑いをふくんだ声で秀信は言葉を続けた。
「お前は近ごろクラスメイトにずいぶん人気があるようじゃないか。それをからかってみたくなったのさ。色男は苦労が多い、と」
「……先生、ひどいです!」
「まあまあ、そう怒るな。教師である私とて、一人の人間だ。たまに悪ふざけをしてみたくなる時もある。特にお前のような可愛い生徒にはな」
 眼鏡の奥の目をすぅ、と秀信は細めた。
 凛太郎はふたたび頬が熱くなるのを隠すように、あわてて言った。
「そ、それじゃ僕、急ぎますから!」
 凛太郎はぺこりとお辞儀してから、そそくさと去っていった。

 凛太郎の草花の茎のような後ろ姿を見送ってから、秀信は眼鏡をはずして深呼吸した。 疲れたように目を手でぬぐい、少し伸びをする。
「祥一」
 秀信は空にむかって一声発した。生徒の前とはどこか違う、尊大さと冷徹さにあふれた声だった。眼鏡を取った秀信は、青年らしい精悍さと雄々しさ、そして年に似合わない威厳と冷徹さにあふれていた。
「ーーーーおそばに」
 秀信の背後に、突如として青い袴姿の青年が現れた。青年はひざまずいていた。年の頃は二十歳前後だろうか。束ねられた黒髪が背中まで伸びている。夜闇に光る刃のような鋭さを秘めた優美な青年だった。
 秀信は青年に背を向けたまま語った。
「清宮凛太郎の監視を命じる。ここ数日の間、必ず何かあるはずだ。わが弓削家の栄光のために、あやつの存在はなくてはならん。決して目を離さぬように、そして凛太郎に気づかれぬようにな」
「御意」
 青年の姿はふたたび消えた。
 秀信はそろそろ暮れかけた空を見上げた。遭魔ケ時とはよく言ったものだ。本当に妖魔が出現しそうではないか。妖魔と戦う術を幼い日よりたたきこまれてきた秀信でもそう思う。
 この空の妖しい美しさは、秀信が弟・晴信の術を通して見た、緑色の髪をした鬼に抱かれている時の少年の美しさに似ていた。雄々しくも巨大な鬼のものにつらぬかれて、あられもない声をあげる凛太郎の様子は、その清楚な外見と相反してよけいになまめかしく、そして淫猥だった。
(さすが前世で鬼をしたがえて、天下を制圧しようとしただけのことはあるーーーー)
 鬼のものを細い体で深々とくわえこむ凛太郎の姿を思い出して、秀信は嗤った。
 あの白い花のようにはかない少年が、伝説の巫女・凛姫の生まれ変わりだとは最初信じられなかった。人の身の上で鬼を使い魔にし、古代国家に動乱を起こした人物の生まれ変わりとはもっと尊大で、強烈な個性を放っていると秀信は想像していたのだ。
 だが、ふだんの可憐さとはうってかわった艶やかさで、鬼と交わっている凛太郎の妖しい美しさは秀信の想像通りの”凛姫”だった。
 鬼につらぬかれている凛太郎の姿を思い出して、秀信の胸は灼けた。
 いや、そうではない。強大な力を持つ巫子を自分の手に入れたいだけだ。巫子を征服したいのだ。秀信はそう思い直した。
 そして何百年もの間、陰陽道の傍流におかれていた弓削家を復興させてみせる。そのために自分は今まで手を汚してきたのだ。
 その成功の鍵が、”神域の花嫁”清宮凛太郎なのだ。
「凛太郎、お前を俺のものにしてみせる……陰陽道、弓削家百三十四代目頭首。弓削秀信のものになーーーー!」
 血のような赤い夕日を前に、秀信は低くつぶやいた。
その双眸は野望に熱くたぎっていた。
 


凛太郎は華奢な体を投げ出すようにして、自室のベッドに横になった。
 今夜は暑いといってもいいほどの夜だった。初夏にはときおりこういった夏のような気温の夜が存在する。
 六時頃までこの部屋で、ほのかたちとダンスの練習をして体を動かしていたので、凛太郎は部屋の窓を開け放していた。でないと、暑いくらいだったのだ。べつにやましいことをしているわけでもないし、窓から内部が見えたとてどうでもよかった。
”女の子二人も家に連れてきて、お前も隅におけないねえ、凛太郎”
 伸一郎だけはそう言ってニヤニヤしていたが。
 窓辺からは下弦の月が見えた。この前の満月に鈴薙がこの部屋に現れ、自分をさらっていこうとしたのが夢のようだ。
 そして、自分の子供である、あの生きた勾玉が鈴薙に連れ去られたことも。
 凛太郎は、ため息をついた。
 時計を見ると、まだ夜の八時だ。
 でもなんだかずいぶん疲れたような気がする。今日は明日の授業の予習復習をするのは無理かもしれない。それほどに凛太郎は疲労していた。
 その疲れは肉体的なものというより、むしろ精神的なものだった。
「凛太郎ちゃ~ん。元気してる?」
 ドアが勢いよく開いて、にやけた笑顔の明が入ってきた。
 凛太郎はあわててベッドから起きあがった。
「い、いきなり何だよ! ちゃんとノックして入って来いよ!」
「ごめんよ~、俺って千年ほど古い人間だからさ、ノックなんて新しい風習はなかなか覚えられねェんだよ」
「明は人間じゃなくて鬼だろ」
「あ、そうだった、そうだった」
 明は頭をかいて笑いながら、凛太郎のベッドの脇に腰を下ろした。
「今日は結構楽しかったよな。ほのかちゃんは手作りクッキー持ってきてくれたし、乃梨子ちゃんは合気道の型を見せてくれたし。二人とも性格は違うけど、可愛くていい娘だよなあ。俺、凛太郎がいなかったら、手出してたかもしれねぇな。あ、妬いた?」
 明は布団に足を入れた凛太郎の顔をのぞきこんで、あだに笑った。
「べつに」
 このまま押し倒されてはかなわないので、凛太郎はベッドから出てカーペットに腰をおろした。
 カーペットに体育座りした凛太郎は、ベッドの上の明を見上げる姿勢になる。
 明は幼子を安心させるように、凛太郎に笑いかけた。
 凛太郎はなぜか胸がどきまぎして、それを隠すようにわざとそっけない口調で言った。
「なんで僕の部屋に来たんだよ。もう寝ようかって思ってたのに」
「だってよォ、お前、晩飯の時、なにげに暗い顔してたじゃん。隠してるつもりでも、この明様はみんなお見通しなんだぜ。だって、お前に呪をかけられた鬼なんだからよ!」
 明はウィンクした。凛太郎はそっぽを向いた。
「あ、そういう態度取るんだ。ふうん」
 明は芝居がかかった声を出した。
「そんなに俺がイヤなんだったら、さっさと指令を出せよ。”明、この部屋から出て行け”ってそう言うだけでいいんだぜ? お前もそれはよく知ってるだろ。だから俺はあの晩、鈴薙からお前を守れなかったんだからさ」
 凛太郎は息をのんだ。膝を強く抱えて、うつむく。
「わ、悪かった! 悪気はないんだ、許してくれよ!」
 明がベッドから飛び降りるようにして凛太郎に土下座した。
 その姿勢のまま、必死に凛太郎に語りかける。
「俺、お前と鈴薙のことなんかちーっとも気にしてないんだからさ! 俺だってお前と出会う前に、いろんなヤツとヤリまくったもん。一発や二発どうってことないさ。だから、なっ?」
 自分よりひとまわり以上は大きな体格の明が、たくましい体をペタンと床につけてひれ伏している姿は滑稽であり、いじましくもあった。凛太郎は苦笑をにじませながら言った。
「明、顔を上げて」
 電流にはじかれたように明が土下座をやめた。
 明の双眸が、凛太郎をひたと見つめる。
 そのまなざしに説得されたかのように、凛太郎は言葉をつむぎだした。
「ーーーー僕ね、心配なんだ」
 凛太郎は膝を強くかかえなおしながら言った。
「今日の杉原さん、どう見てもおかしかったよね。以前、明教えてくれただろ。鬼の子供は、勾玉の形を取って生まれるって。勾玉はもともと鬼の子供を模して作られたものだって。それで、鬼の子供は母体だけじゃなく、他の人間からも栄養を吸い取れるんだってね。それで親の言うとおり、他の人間を自分の思い通りに操れるんでしょ? きっと杉原さんや最近様子がおかしい人たちは……」
「そうだ。勾玉に取り憑かれてるんだよ。鈴薙に命を受けた勾玉にな」
 明のやけにあっさりとした物言いに、凛太郎は驚いて顔をあげた。
 少しからかうように明は凛太郎に微笑みかけた。
「怖いか?」
 凛太郎はためらってから、小さくうなずいた。
 明は凛太郎の頭をくしゃくしゃと撫でてから、凛太郎を軽々と抱き上げた。
「めずらしく素直でよろしい! ここまで俺に素直だなんて、お前、ひょっとして俺の愛の前に心を開きかけたのか?」
 そう言いながら、明は凛太郎の体をくるくると振り回した。
「そ、そんなわけないだろ! わわっ、離せよ! 目が回る!」
「お前、これくらいで目が回るなんてヤワだなあ」
 明は笑いながら凛太郎をカーペットの上に立たせて、自分はベッドの上にふたたび座った。
 凛太郎の折れそうに細い腰を抱きしめながら、明は語りかけた。
「大丈夫だよ。だってお前の子供だもん。たしかに今は鈴薙が選んだ宿り主、杉原里江のもとに寄生させられて養分を吸ってるかもしれない。里江を通して、他のやつらのもな。だけどそうしないと、あいつは孵化できないんだ。孵化するまで、鬼の血をひいたものは呪を受け入れることができない。あいつが孵化した瞬間に、お前は俺にしたみたいに自分の子供に呪をかければいい」
「僕に……できるかな」
 凛太郎は言った。情けないことに、声が震えていた。顔を上げて、明はおどけた。
「できねえかもしれねえな。お前はいくじがないし、要領も悪いから、自分の子供のあいつにだって言うことを聞いてもらえねえかもしれねえ。いいじゃねえか、しょせん鬼との間の子供だ。俺がぶっ殺してやらあ」
「やめてよ!」
 我知らず、凛太郎は叫んでいた。自分の腰に抱きついている明をにらみつける。
「あの子は僕の子だ! たとえ今は悪いことしてても、きっと僕がなんとかしてみせる!」
 そこまで言い切った後、自分を見上げている明のニヤニヤ笑いに気づいた。
「な、何……?」
「ううん、お前がちゃんと母親してるんだな、って思って」
「母親っ? 僕が母親っ?」
 凛太郎の声はひっくりかえった。頬が熱くなるのを感じる。
「僕は男だ! 母親なんかじゃない!」
「でも産んだのはお前だろ?」
「そ、それはそうだけど……」
 凛太郎は唇を噛んでうつむいた。
 明がクスッと笑って、あやすように凛太郎の腰をゆさぶった。
「ごめん、ごめん。お前があんまり可愛いもんで、ついからかっちまって。でもお前、ちゃんと親としてあの子を愛してるんだな。安心したよ。鬼との間の子なんて自分の子じゃない、なんて言わなくてさ」
 明はしみいるように笑ってつぶやいた。
「だって、俺も鬼だからな。人間の中にはそういうヤツが結構多いんだよ、鬼をとにかく毛嫌いするやつが……人間だって鬼以下の非道いこといくらでもやらかしてるヤツがいっぱいいるくせに、な」
 凛太郎は静かに、そして優しく明の頭を撫でた。
 明の頭髪が、短い黒から、長い緑に変わった。
 月明かりが冴え冴えと輝いていた。
 明は凛太郎の腰を抱きしめた。
 そして、凛太郎のズボンのチャックをおろした。
「あ、明、何を……」
 ズボンから自分自身を引き出されながら、凛太郎は狼狽して尋ねた。
「訊かなくても分かるだろ? こうするんだよ」
 明は凛太郎の核心をやわらかく握った。そしてゆっくりとそれに口づける。
「やだっ、汚いよ。お風呂にも入ってないのに……」
「そんなのかまわねェよ。俺にとって、お前の体に汚い部分なんかないんだからさ。それより、俺にお前の気をたっぷり吸わせてくれよ。そのうち戦わなきゃいけないんだから」
 凛太郎を見上げて、明はニヤリと笑った。そして目を閉じて、凛太郎のものをふくんだ。 明の熱い舌が、凛太郎のもっとも感じる丸くなっている部分をかきまわす。その刺激に凛太郎は腰を引いた。
 明がクスっと笑って、凛太郎の腰を押し戻し、よりいっそう舌の動きを早くする。
「あっ……」
 凛太郎はうめいた。出る、と思った。
 途端に、明が凛太郎から口を離した。
 光る唾液の糸を引いて、鬼の赤い唇が自分から離れていくのを凛太郎は息をはずませながら見つめた。射精感がゆっくりと引いていく。
「すごく残念、って表情してるな」
 いたずらっぽく微笑みながら、明は言った
「べ、べつにそんなこと……」
「ふうん」
 明は笑った。からかいがにじんだその笑い声に、凛太郎は唇をとがらせた。自分のことは何でもお見通しだ、という明の態度が気に入らなかった。
 凛太郎は明から離れようとした。
 その時、ふたたび明は凛太郎を口と手を使って愛撫していた。
 今度は明は目を薄く開けていた。その流麗な切れ上がった双眸は、あだに凛太郎を見つめていた。
 この鬼は、自分が快楽におぼれていく様を逐一観察しようとしているのだ。それに気づいた凛太郎は、感じるまいと唇を噛みしめる。 だが、明の舌は容赦なく凛太郎を駆り立ててゆく。あらがい続ける凛太郎はふと、下方を見やった。
 すると凛太郎の股間に顔をうずめていた明は、唇を少し開いた。自分自身が明の舌になめまわされ、いらわれているのを凛太郎は目の当たりにした。その淫靡な光景に、凛太郎の口から思わず悲鳴がもれた。
「ああ……っ。んっ……」
 鬼は淫らなまなざしで凛太郎を犯していた。羞恥に頬を染めながら、凛太郎は目を閉じる。そうすればこの高ぶりから少しでも逃れられると考えたのだ。が、それは逆効果だった。視覚を封じたがために、触感がいっそう鋭敏になってしまった。口淫から生じる水っぽい音がよけい凛太郎を刺激した。逃れようにも、明は両手でしっかりと凛太郎を拘束している。
 明は凛太郎の根元を強く握った。そしてさらに舌を早く回す。
 吐精したくてもできないもどかしさに、凛太郎の目頭は熱くなっていた。
「なあ」
 口を離して、明がささやいた。
「どうしてほしい?」
 凛太郎を籠絡できる歓びで、そのまなざしは輝いていた。凛太郎はくやしさをにじませて言う。
「この……好き者ッ!」
「そうだよ、俺はスケベなの。なんたって、道祖神として祀られてたくらいなんだから。もしこんな俺が嫌なら、今すぐ俺に命じろよ。”明、こういうことをするのはやめてくれ”ってさ」
「……」
 凛太郎は言葉に詰まった。プライドに従えばそうしたいのはやまやまだが、躯が言うことを聞いてくれなかった。凛太郎のそこは痛いほど張りつめていた。
 それでも明の余裕たっぷりな笑いが気に食わなくて、凛太郎は深く呼吸してうずきをこらえた。
 淫靡に明は笑って、手に力を加えた。
「や、やめ……っ」
「やめていいのかよ? ほら、泣いてるぞ、お前のここ」
 明は凛太郎のしずくを舌でなめとった。 ひくっ、と凛太郎が喉を鳴らす。明はそれに誘われたように、口淫を再開した。
 ちゅっ、くちゅっ……という音が室内に響いた。
 明はもっとも感じる部分には触れずに、その周りだけを攻めていく。
「や、やだっ。も、だ……めっ」
 言葉とは裏腹に、無意識のうちに凛太郎は明の口内に腰を突き出していた。明はそれを嗤ったが、そんなことに気づく余裕は凛太郎にはもう残されていなかった。
「あ、明……」
「ん?」
 凛太郎に奉仕を続けながら、くぐもった声で明が応える。
「あっ、あの……っ」
「何だよ? はっきり言ってくれよ」
 またもや根元を圧迫しながら、明が問うた。わざとらしく眉を寄せて、困惑した表情を作っている。
「意地悪……っ!」
 凛太郎は明をなじった。愉悦と屈辱が入り交じった奇妙な快楽が自分の中に生じていることに、凛太郎は気づいていた。
「なあ、言ってくれよ。俺にイカせてくれってさ」
 微妙に手を動かしながら、少し沈んだ声で明は言った。
「いつも俺がお前を求めてばっかりじゃん。たまには、お前からも歩み寄ってほしいんだ。でないと俺、お前にちっとも好かれてないみたいで不安になるんだよ。なあ、そこんとこ分かってくれない? 凛太郎ちゃん?」
 凛太郎には明の言葉はほとんど耳に入っていなかった。音としては聞こえるが、意味を取るまでにはいたらない。凛太郎は目をきつく閉じたまま、悦楽と理性のせめぎあいに身を投じていた。
 だから、明がいつになく真摯な目で自分を見つめているのに気づかなかった。
 明は微笑しながら嘆息した。
 凛太郎のそこに深くくちづける。
「うっ……」
 凛太郎は放った。
 明の喉が卑猥に上下した。
 ベッドに座ったた姿勢のまま、明は凛太郎の体を膝の上に乗せた。汗まみれになった凛太郎の服を脱がせて、自らも裸になる。 
 ベッドに横たわった凛太郎は、ぼんやりと明の裸体に視線を落とした。
 鬼の巨大なものは、屹立していた。
 明は凛太郎の視線に気づいて、少し照れたように笑った。
「俺のここに来てくれよ、凛太郎」
 そう言って、明は凛太郎の体をひょい、と抱き上げた。凛太郎の膝を割って、自分の腰にまたがらせる。
「ほうら、抱っこだ」
 おどけたように明は言った。それから凛太郎の腰を押して、自分のものを突き刺していく。身が沈むたびに、凛太郎はうめいた。うめき声は徐々に深いものになっていく。明は満足気な笑みを浮かべて、凛太郎の耳たぶを甘噛みした。
 凛太郎は悲鳴をあげた。
 明は子供をあやすかのごとく、凛太郎の腰を支えて揺らした。初めての体位に、とまどった凛太郎は床に転げ落ちそうになった。
「しっかり俺につかまりな」
 明の声によこしまなものを感じながらも凛太郎は言われるとおりにした。明の首に手を回す。明とは大人と子供ほど身長差のある凛太郎は、明にすっぽりつつまれる体勢になった。
(なんだか僕、本当に明の子供みたいだ)
 明を受け入れながら、凛太郎は胸の内でごちた。
「凛太郎ちゃん、かわいいでちゅねえ」
 ご満悦な様子で、明は凛太郎にほおずりした。
 凛太郎はムッとして視線をそらした。カーテンが開きっぱなしの窓辺に目がいった凛太郎は、ふと気づいた。
「明、結界張ってるっ?」
「あ、忘れてた!」
 ふたたび腰を動かし始めながら、明がのんきな声をあげた。
「……って、っていうことはつまり、今までの僕たちの様子が外から丸見えに……。それに明、今、元の姿に戻ってるのを誰かに見られたんじゃ……」
「ま、かもしれねえな!」
 あっけらかんと明は言いはなって、指を鳴らした。青白い光が一瞬辺りに満ちて、結界が張られたことを証明した。
「大丈夫、大丈夫! この辺りにはほとんど家なんかないし、オヤジさんは晩酌やって熟睡してるし。誰も見てやしねえよ」
 カラカラと明は笑った。その間にもしっかり腰は律動を刻んでいる。
「そ、そんないいかげんな! 離してよ!
今夜は僕、もうそんな気分になれない!」
 わめく凛太郎の唇を、明はくちづけでふさいだ。
 凛太郎の腰を上下から、左右に揺する。
 さらに凛太郎の股間に手を伸ばして、そこに刺激をあたえた。
 明は唇を離した。
 凛太郎の口からは、抗議ではなく、あえぎ声が放たれていた。
 明は微苦笑した。
 すぐに気を取り直して、切れ上がった双眸を光らせながらささやく。
「ほら、そこ……こう動かして。もっとこすりあげて……な、いいだろ?」 
 凛太郎は明に導かれるまま、腰をうごめかした。いつしか明は自分から動くのをやめていた。凛太郎は甘くすすり泣きながら無心に明を求めていた。
「……まったく、体だけは素直なんだから、凛太郎ちゃんは。早く心の方も素直になって欲しいぜ。明くん、好き好きってさ」
 明は小さくぼやいた。
 だが、すぐに官能の波に飲み込まれて、凛太郎の躯に没頭し始めた。
 抱き合う二人には、自分たちをじっと見つめる目があることに気づいている余裕はなかった。





© Rakuten Group, Inc.